薬剤師のハートトーク

過去から未来へ

01 血友病との出会い

私が血友病という病気を知ったのは、子供の頃に入院していた小児病院の整形外科病棟で、隣の部屋のAくんが血友病でした。普段はとても明るく活発な性格でしたが、膝や肘関節の出血を頻繁に繰り返し、その度に三日三晩「痛いよー」と声が枯れるまで泣き続けていました。ベッドの脇には点滴が吊るされ、やがて1週間もすると何事もなかったかのように元気な姿に戻るのです。
いつもの姿とあまりに対照的な泣き声を聞くたびに、それがどれほどの痛みなのか想像するようになり、そして出血を治しているらしい点滴や、治療にも興味を持ったのか、気づけば薬学部に進んでいました。

02 薬剤師の片思い

これを読まれている方の中に、通院先の薬剤師の顔と名前を知っている人はどれくらいおられるでしょうか。実のところ、血友病と薬剤師はあまり身近な存在ではありません。静脈注射の直接的指導は、医師や看護師でないと行えませんし、治療薬も一度使い始めると変わらないことが多いため、薬剤師が必ず関わらなくてはならない機会というのはとても“少なかった”のです。
一方で、薬剤師は職業に「薬」を冠した唯一の医療資格職であり、「血友病」と「薬」の間には消すことのできない負の歴史があります。血友病診療施設に身をおく薬剤師には、薬の専門職として「なんとか携わりたい」という本能と、現実的な需要の少なさからくる不甲斐なさとのジレンマに悩む薬剤師は案外多いのです。私もその中の一人です。

03 置き去りにされてしまったもの

薬剤師としていくつかの病院に勤務した後、血友病性関節症の方が多く来られる東京大学医科学研究所附属病院で働き出しました。
患者さんたちと関わるうちに「ここに入院して初めて同じ病気の人に会った」という声をたびたび聞くようになりました。病気との付き合いが長いのに不思議に思いましたが、それには二つの理由があるのではないかと思うようになりました。
一つは、血友病患者さん自体が少ないため、同じ病院で出会うことがないこと、もう一つは、その状況を補完していたはずの患者組織が機能不全に陥ってしまったことです。そしてそのあおりを真正面から受けたのが、まさにAくんのように80年代を少年として過ごした今の40代~50代前半の方々です。成人する前に患者会が衰退し、診療現場では他の課題の解決に重点が置かれ、本来習得すべき学習機会や、横のつながりの形成機会を失ったまま30年が過ぎているように感じました。それは同世代の私にはとても身近で、時代背景も想像しやすいものでした。

04 血友病教室

そんな経緯から7年前、関節外科のスタッフとともに、入院されていた患者さんを主対象に学びの場として「血友病教室」を始めました。当初は私自身、薬剤師が中心的に関わることに居心地の悪さのようなものを感じていました。そんな時、関節外科の医師は「こういうのは血友病に関係している医療者であれば、誰が思いついても良いこと、それがうちではたまたま薬剤師だっただけのこと」と声をかけてくれました。薬剤師独自の役割にこだわるより、関心を持ち続けることの方が「自然」で「大切」なこと、と気づかせてくれたこの言葉は今でも私を支えています。春が近づき「教室、今年はいつなの?」という声を聞くたび、継続することの大切さと喜びを感じています。

05 身近な存在へ

全国の薬剤師で繋いできたこの連載は、今年度で終了予定です。当初は1年の予定で始まりましたが3年も続けることができました。これまで薬剤師と話をしたことがない方も、このコラムを通じて薬剤師に親近感を持っていただけたとしたら筆者一同、大変嬉しく思います。
先ほど、「薬剤の変更もなく、薬剤師が関わる機会が少なかった」と書きましたが、ここ数年は新薬が登場し状況は大きく変わってきています。これまでにないユニークな効き方や、皮下注射などの新たな投与方法、長時間型の薬剤などが開発され、ライフスタイルに合わせた選択も可能になりつつあります。やがて内服薬さえも一般的になる時代がくるかもしれません。これまでの薬剤を続けるか、新しい薬を使うか悩むこともあるでしょう。今後は医師や看護師とともに、私たち薬剤師も血友病診療スタッフの一員として皆さんとお会いできる機会が増えていくはずです。近い未来を前に、いま私たちはとてもワクワクしているのです。

(2018年Vol.58秋号)
審J2005101

宮崎 菜穂子先生​ 薬剤師