大石邦子の心の旅

お母さんのお弁当

花吹雪のなかの出会いや別れ。今年も多くの人々が新たな人生を歩み出した。

雪が解けて桜前線が北上してゆく日本の4月は実に美しい。緑きらめく爽やかな5月。湿り気を帯びてくる6月の風。この春、新たな旅立ちをした人々は、元気に過ごしておられるだろうか。

お元気ですか。

先日、久しぶりにコヤちゃん親子と食事に行った。コヤちゃんは25年来、私の講演に付き添ってくれた親友である。彼女がいなかったら泊まりがけの講演等は、そうはできなかったと思う。北海道も九州も一緒だった。

障害をもって初めて入った温泉も、彼女とである。彼女は戸惑う私を堂々と浴場に連れていった。ガンで失った乳房のない体も、足が湯に浮いてしまう麻痺の体も、恥ずかしがることはないと叱咤激励されての一大冒険だった。

彼女は美人でおしゃれでセンスが良く、その上力持ちで、私を背負えるのだ。単身赴任のご主人は金曜日毎に帰られ、彼女は若い時からお姑さんと暮らし最期も看取った。

実は、彼女の娘のモトちゃんが、きれいになっていて驚いた。背が高いのでモデルさんのようである。病気がちで食も細く、私に太れ、太れと言われていたせいでもないだろうが、頬が幾分ふっくらと可愛くなっていた。

レストランで向かい合いながら、娘を案じ続けた母親の気持ちを知っているだけに、私まで嬉しかった。

モトちゃんは受験の頃の失敗談を、笑いながら元気に話してくれた。

「でも、あのとき私の目を覚ましてくれたのは、お母さんのお弁当だったの」

イラストイメージ話はこうだった。大学のセンター試験の時、問題が解けなかった。もうダメだ。午後のテストは受けてもムダ。それなら受けずに帰ろう。でも弁当も食べずに帰ったら母が心配する。外は雪。仕方ない。ここで食べて帰ろう。

彼女はテストの終わった教室で、心重く弁当を開いた。弁当はきれいな布で包まれ、中から大好きなお菓子「ままどおる」が2個と、母のメモが添えられていた。

「祈っているよ。お母さんも頑張るね」

涙が零れそうだった。簡単に諦めていた自分が情けなかった。みんな応援してくれているのに、自分はこうしていつも現実から逃げていたのかもしれない、と思った。

彼女は立ち上がる。午後のテストを受けよう。何だか体にみなぎるものを感じた。

ちなみに、彼女は一年遅れて希望の大学に合格し、大学院にも進んだ。

人はそんなに強くはない。逃げたくもなる。しかし、そんな自分に気づいた時、そこから立ち上がれる人はすでに強くなっている。

レストランのメニューを開いて私は言った。

「何 食べる?」

(2017年4月記)
審J2005097

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。