大石邦子の心の旅

自粛の日々

会いたい人にも会えず、行きたい処にも行けず、今年になって私が家を出たのは、5回だけ。

1回は町長選挙、4回は病院である。間もなく、かかりつけ医院での2回目のコロナのワクチン接種日が来る。それが6度目の外出となる。

いくら車椅子の身とは言え、入院中ならともかく、一日中机の前に座って空を眺めているというのも侘しい。そんな私に、美沙ちゃんが時々電話をくれる。

イラストイメージ 私が講演に出るとき、いつも付き添ってくれた友人である。彼女がいなければ、泊まりがけの講演などに出ることはできなかっただろう。

「早くコロナが収まってくれるといいね、そしたらまた、どこかへ行こうね」、彼女は、いつもそう言って私を励ます。
仕事以外でも、二人の都合が合うと、私たちは時々小さな旅に出た。

700年もの伝統を持ち、国の重要無形文化財ともなっている秋田県は羽後町の、「西馬音内(にしもない)の盆踊り」も見に行った。美しい踊りだった。

道の両脇には篝火かがりびがたかれ、その幻想的な明るさの中を、妖しげなまでに優雅な踊りの列が流れてゆく。道には砂がまかれ、草履さばきの音が夜空にこだまするのだ。

踊り手の顔は深編笠で殆ど見えない。その分、襟足の美しさが際立って、多くのカメラマンが襟足を追いかけていた。

更には踊り手の装束である。親から子へ、子から孫へと、代々家に受け継がれるという「端縫い」の衣装は、何種類もの絹の端切れを左右対称に縫い合わせて、今流にいえば、絹のパッチワークの着物である。帯は黒。そこに朱のしごきが脇に垂らされている。これは成人女性が着る。

未成年者は、藍染のゆかたに「ひこさ頭巾」と呼ばれる黒い筒状の布で顔をすっぽり覆い、目だけ出している。死者の霊を表すらしかった。

実は一度、私はこの踊りを見たことがあった。
可愛がっていた息子のような青年が、福島のホテルで結婚式を挙げた時だった。

彼は秋田出身だが、東京に就職した矢先、郷里のお母さんの病状が急変したとの知らせに帰省する途中、福島で事故に遭った。幸い命はとりとめたが、片足を失った。

その頃、郷里のお母さんも、最愛の息子を案じながら、看病することも、会うことも叶わないままに亡くなった。

そうした母と子の姿を、身近にみていた故郷の縁者たちは、後年、福島の女性との結婚が決まったとき、揃って、あの「深編笠」と「ひこさ頭巾」姿で登場し、西馬音内の盆踊りを踊られたのである。

当時、装束の意味はよく分からなかったが、足を失い、母を亡くした彼への故郷の人々の優しさが、強く思われた。

彼は涙ぐんでいた。踊りの中に、故郷の人々が連れてきてくれた、今は亡き母の姿をみていたのだと思う。あれから何年たつだろう。彼は今、二人の子の父である。

コロナ禍のなか、今年ももうすぐお盆である。

(2021年6月記)
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大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。