大石邦子の心の旅

新たな希望

新緑の美しい季節になった。
戸を開けておくようになったせいか、鳥の鳴き声も頻りに聞こえてくる。みんな季節を忘れないのだと、妙に感心する。

進学や就職等で新たな出発をされた方々も、元気に頑張っておられるだろうか。彼はどうしているだろう。

イラストイメージ あれは2月だった。久しぶりに友人から手紙が届いた。彼女は、いつも美しい直筆の手紙で、メールやパソコンの文字に慣れている眼には、実に爽やかで癒されるものだった。

それなのに、いつも返事が遅くなり、その日はお詫びを兼ねて電話にした。何だか、電話の向こうが賑わって感じられた。
彼女が「ありがとう」と、声を弾ませて言った。どうも電話のお礼にしては声が弾み過ぎていた。

「医大 合格しました!」
息子さんの大学受験合格発表の日だったのだ。すっかり忘れていた。一瞬ためらったが、私はそのまま合格祝いに心を切り替えて、堪らなく嬉しく喜び合った。私は彼女の手紙から、いつも彼女の3人の息子さんには勝手に親しみを抱いていた。と、いってもお会いしたのは一度だけ、もう10年以上も前になるだろう。

彼女が『母から子への手紙』というコンテストに応募され、受賞された時だった。

このコンテストは、野口英世の故郷・福島県の猪苗代町と郵政とによる催しだったが、審査員の一人として初回から驚かされたのは、応募作品が、この東北の小さな町に全国47都道府県全てから集まってくるということだった。もう20年になった。

更には、その祝賀会がまた独特で、ご家族もご一緒にお母さん方の受賞を祝いましょう、というもので、ご主人やお子さんや、家族なら何方でも、郷土料理で歓迎された。彼女のご家族と出会ったのもそうした席だった。

今回、医大に合格した末のお子さんは、あの頃、何歳だったのだろう。驚くのは、当時学生だったと思う長男、次男のお2人は、既に2人ともお医者さんになっていた。

三男の彼も、受験はどこでも大丈夫といわれるほどだったと聞く。選んだのは、自分の生まれた病院、福島県立医科大学だった。

彼と彼の家族の、いのちへの思いやりや、優しさは、彼の誕生に深くかかわっているのかもしれないと思われた。

彼は、先天性の心臓病を患って生まれ、生まれるとすぐ集中治療室に移され、18時間に及ぶ大手術の末に助かった命だったのだ。

進路を決めるとき、彼は言ったという。
「医大で救われた命、次は自分の手で他の人の命を救いたい。福島の医療を引っ張ってゆけるような医者になりたい」

私は電話口で言った。「貴方がお医者さんになった姿をみたいな。それまで、私生きていられるかな…」心の底から突き上げて来る新たな希望だった。

彼は言った。
「大丈夫、僕がいる。兄たちもいます…」
涙がこぼれた。どこまで優しい子なのだろう。
ありがとう、智ちゃん。

(2022年5月記)
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大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。