CLOSE UP HEART

第21回 血友病に対する遺伝子治療

本誌監修の吉岡章先生が、血友病の専門医(家)にインタビューし、一つのテーマを深く掘り下げる「クローズアップ・ハート」。第21回は、血友病への遺伝子治療について、自治医科大学医学部生化学講座病態生化学部門の大森司先生にお聞きしました。現在研究が進み、注目されている血友病の遺伝子治療のしくみやメリット、課題についておうかがいしました。

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自治医科大学医学部 生化学講座
病態生化学部門 教授
大森 司先生
大森 司先生 プロフィール
  • ●1994年3月 自治医科大学卒業
  • ●1994年5月~2004年4月 山梨県内の病院・診療所に勤務
  • ●2004年5月 自治医科大学分子病態治療研究センター分子病態研究部 助教
  • ●2007年11月 同 講師
  • ●2015年4月 自治医科大学医学部生化学講座病態生化学部門 准教授
  • ●2017年4月 自治医科大学医学部生化学講座病態生化学部門 教授
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自治医科大学
〒329-0498
栃木県下野市薬師寺3311-1
TEL:0285-44-2111(代表)
URL:https://www.jichi.ac.jp/

機能的な凝固因子の遺伝子を補充

吉岡先生現在、血友病は一般的にどのような治療がなされていますか。今までの経緯も含めて教えていただけますでしょうか。

大森先生血友病は血液を固める凝固第Ⅷ因子と第Ⅸ因子の機能が足りない病気です。昔は輸血を治療としていましたが、輸血による凝固因子の補充は非常に効率が悪いので、その後献血由来の血液などから凝固因子を精製し、補充するという治療が行われてきました。1980年代になると第Ⅷ因子、第Ⅸ因子の遺伝子が発見され、いわゆる遺伝子組換え凝固因子製剤が使われることが主となりました。血液の中の不足する凝固因子というタンパク質を補充するのですが、タンパク質は体の中で長く維持されないため、幼少の頃から定期的に補充を繰り返さなくてはならないというのがひとつの弱点です。そこで1回の治療で非常に長期の効果を得られる遺伝子治療が注目されています。

吉岡先生血友病はX染色体潜性(劣性)遺伝性遺伝病ですが、どのようなしくみで遺伝するのでしょうか。

大森先生血液の凝固に関わる第Ⅷ因子や第Ⅸ因子は、性染色体のX染色体に存在しています。女性だとXXと2つ持っているので、どちらか一方の第Ⅷ因子や第Ⅸ因子の遺伝子が傷ついていても補完できますが、男性は1つのX染色体しか持っていませんので、基本的には男性のみに発症します。保因者と呼ばれる、片方のX染色体が傷ついている女性から生まれることが多いと考えられています。

吉岡先生では、血友病の遺伝子治療というのはどのようなものですか。

大森先生遺伝子治療というと、われわれの体の中の設計図であるDNAそのものを治す治療と思われてしまうかもしれませんが、現行の遺伝子治療はそうではなく、遺伝子を補充する治療になります。凝固因子は主に肝臓で作られますが、血友病患者さんのDNAには正常な第Ⅷ因子や第Ⅸ因子の遺伝子の設計図がないのでうまく作れません。そのため、肝臓細胞に機能的な凝固因子の遺伝子を補充してあげるというのが、現在血友病で行われている遺伝子治療です。

吉岡先生遺伝子はどのようにして体に入れるのですか。

大森先生遺伝子そのものは投与しただけでは体の中の細胞には入らないので、ベクターという遺伝子の運び屋に、第Ⅷ因子や第Ⅸ因子を発現できるような遺伝子を載せます。血友病の遺伝子治療には主にアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターが使われています。ウイルスというと少し怖いイメージがありますが、病原性やウイルス増殖に必要なものを排除し、ウイルスが持つ細胞に入り込む機能だけを利用して、静脈注射をすることで遺伝子を肝臓細胞に届けます。

現在進行形で研究が進む遺伝子治療

吉岡先生血友病の遺伝子治療はいつごろから行われるようになったのですか。

大森先生2000年くらいに皮膚の線維芽細胞を取ってきて、それに第Ⅷ因子を遺伝子導入しておなかに戻すという治療が最初だったと思います。その後2006年にAAVベクターの2型を使ったのが肝臓を標的にした遺伝子治療の最初でした。ただこれは一時的に凝固因子の活性は上がりましたが、すぐに下がってしまいました。2011年、血友病Bに、8型という効率のいいAAVベクターを静脈注射して行ったのが最初の成功例です。1回の投与で8年以上も遺伝子の発現が持続していると聞いています。この成功から、さまざまな製薬会社が遺伝子治療薬の開発を進め、10年かけて患者さんに届けられるようになってきました。

吉岡先生血友病のほかにも遺伝子治療が進んでいる疾患はありますか。

大森先生脊髄性筋萎縮症という小児の神経疾患に対して遺伝子治療薬が2020年に保険収載され、国内でも100例近く治療されています。当大学でも神経疾患への臨床研究が進んでいます。

吉岡先生どんな血友病患者さんが遺伝子治療を受ける対象となりますか。

大森先生基本的には重症か重症に近い18歳以上の方です。AAVベクターを使って感染させた肝臓細胞が分裂を繰り返すと、だんだん治療効果が薄まってしまうので、ある程度成長の止まった成人が対象となります。また、知らないうちにAAVに感染してしまっている方が20%ほどいらっしゃいます。こうした方はAAVの抗体ができていて、治療効果が減弱してしまうので、基本的に遺伝子治療の対象とはしないことが多いです。

吉岡先生1回の遺伝子治療だけで、凝固因子製剤の補充は不要になるのでしょうか。

大森先生日常生活では必要になることはないとは思いますが、手術やけがなどで大きな出血があるときには凝固因子製剤の補充は必要だと思います。1回の遺伝子治療でどのくらい効果が持続するかというのは、まだわかっていません。

吉岡先生遺伝子治療が成功していても、出血してしまった場合、やはり凝固因子製剤をいつでも補充できるというのは、バックアップになりますね。

大森先生はい。それは必要だと思います。

吉岡先生血友病AとBで遺伝子治療に差がありますか。

大森先生Bの遺伝子治療の結果は比較的安定し、恐らく10年単位で効果が続くと予想されます。Aは最初の1年くらいは活性が高くてもその後下がっていってしまって、いまひとつ治療効果がはっきりしていません。まだこれからです。

吉岡先生日本ではどの程度まで血友病の遺伝子治療が進んでいるのでしょうか。

大森先生われわれも基礎研究はやっていますが、まだ臨床でベクターを製造して患者さんに投与というところまではいっていません。国内においては海外の製薬会社による治験が数例おこなわれています。

疾患を意識しない生活への期待

吉岡先生遺伝子治療を受けると、血友病の遺伝子が子孫に遺伝しなくなるのですか。

大森先生それはありません。肝臓の細胞に遺伝子を補充しているだけですので全身の遺伝子そのものが治るわけではありません。

吉岡先生血友病患者さんからは、遺伝子治療について何か意見が出てきていますか。

大森先生お母さんからの問い合わせは多いですね。遺伝子治療を受けるともう治療しなくてもすむようになるのかという期待があるようです。また、治療に加えて遺伝についての質問が多いですね。患者さんご本人は、意外と今の補充療法に満足していて、長期の安全性を見極めた上でという、慎重な方も多くいらっしゃいます。遺伝子治療は選択肢のひとつと私は捉えています。

吉岡先生遺伝子治療の課題は何ですか。

大森先生基本は長期の安全性、それが一番優先されますね。何十年もしっかり見届ける必要があります。また、効果は個人差が大きいのも現状です。

吉岡先生血友病そのものの治療の最終目標というのは、先生はどこに置いておられますか。

大森先生私は疾患を意識しないで生活できるというところを一番目指したいと思います。今は凝固因子製剤も非常によく、かなりそれに近づいていると思います。あとは、ご家族の負担といいますか、患者さん自身よりも保因者であるお母さんが悩む場合も多いので、治療がよくなれば、そういったことも解決できると思います。結婚、出産などのライフステージにおけるさまざまな問題も、ほとんど問題なくなってくるはずです。

(2023年Vol.74夏号)
審J2307072