大石邦子の心の旅

奇跡の人

5年前、この欄に大切な友人のことを書いた。私の道しるべの様な人である。

彼は6歳の時に血友病と診断され、出血の痛みとの闘いが始まった。学校へは殆どゆくことができず、小学校の卒業式だけはお父さんに背負われて出席した。幼心に彼は決心する。自分にできることを精一杯やってみよう。

寝たきりの彼の最大の友はラジオだった。ラジオには様々な講座があった。特に英語に心惹かれた彼は、歌を覚えるように英語になじんでいった。18歳の時、英検1級に合格。審査員をして、自分より素晴らしいと言わしめた。

次の夢は、成人式に歩いて出たいということ。私が彼に出会ったのはその頃である。

電話の受話器さえ痛くて持てず、レシーバーのようなものをはめていた。それなのに、電話の声は常に明るく弾み、ユーモアにあふれ、本当にこの人が寝たきりの人なのだろうかと信じ難かった。

夢をかけた壮絶なリハビリが始まった。1年後、遂に松葉杖で立ち上がる。歩けたのだ。

やがて彼は、お父さんの会社で働きたいと思う。お父さんの会社はパン製造業だった。両親は喜んで迎えた。しかし、店頭で転び左足を骨折してしまう。

骨が溶けていった。切断以外に助かる道はないと、日本では初めてという血友病患者の脚の切断は、24歳の時だった。

奇跡的に命をとりとめた彼は思う。これからは誰かのために生きたい。

彼は英語力を生かし、英語を教え、当時は若者向けの深夜放送が盛んで、若者の自殺の多い時代だった。ラジオのDJとして招かれた彼は、若者に呼びかける。

「自分で生まれてきたのではないのだから、自分で死んではいけない」

彼の夜々の言葉は多くの人の胸を打ち、講演依頼も相次いだ。素敵な女性とめぐり会い、子どもにも恵まれた。

やがて父の会社を受継いだ彼は、独自の経営改革を進め、経済界からも高く評価されていった。車椅子で全国を飛び回り、あの寝たきりだった彼からは想像のできない姿だった。

イラストイメージ社長になってどのくらいになるだろう。彼の体が肝硬変に追いつめられていたことを私は知らなかった。相当苦しいはずなのに、愚痴ひとつ言わず、暗い顔ひとつせず、常に前向きだった。しかし限界はある。

遂に彼の体が悲鳴を上げた。彼は会社を人に任すと、2015年7月、奥さんと共に北海道の岩見沢に静養移住した。

昨年の秋、札幌の病院から電話を受けた。「妻への感謝でいっぱい…」。彼の声が詰まった。彼と出会って40年、彼が泣いていると思われる声を聞いたのは初めてだった。涙がこぼれた。もう頑張らなくていい…。

これが彼との最後の電話となった。間もなく彼は60年の生涯を終えた。昨年の11月である。

雄二さん、貴方は私たち病む者の光であり、希望であり、奇跡の人でした。長い間、本当にありがとう。

※本稿に登場した大橋雄二さんについては、クロスハートvol.32の「心の旅」にて紹介されています。
大橋雄二さんご本人にも、クロスハートvol.35、36にご寄稿いただいております。

(2017年1月記)
審J2005096

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。