大石邦子の心の旅

静かの海

梅雨が明けた。

例年になく長く厳しい梅雨だった。痛みや痺れのある体には、冬よりこの湿度滴る季節が一番こたえる。天気予報より、体が教えてくれる予報の方が正しいと嘆いたりもした。

でも、梅雨の明けた8月の空は、どこまでも高く、どこまで青い。私には、空が故郷のように空に支えられ、儚い夢も、夢があることで生きられた長い寝たきりの歳月があった。

先日の新聞に、インドが月探査機の打ち上げに成功したというニュースが載っていた。

イラストイメージ ちなみに、人類が初めて月に降り立ったのは1969年のアポロ11号だった。もう50年になる。私はまだ動けず、病院のベッドからは月も見えなかったが、テレビは一日中、宇宙からの中継を続けた。

7月16日ケネディ宇宙センターから打ち上げられたロケットは、7月20日月面に着陸。司令船から着陸船に乗り移った宇宙服姿のアームストロング船長とオルドリン飛行士が、人類初の月面に降り立った。そこは「静かの海」と名付けられ、2人はまるでロボットが歩くかのように、ふわふわと浮き上がりながら月面を歩いてみせた。走ってもみせた。

船長が言った。「月の引力は地球の6分の1」なのだと。だから浮き上がるのだろう。

「あそこでなら、私も歩けるかもしれない」

胸が苦しくなった。「もう一度でいい、歩いてみたい!」

母も傍らでテレビを見ていた。

数日後、それは満月の夜だった。母は病室のベランダに出ると、手鏡をかざして月を映して見せながら、力を込めて言った。

「科学はどんどん進んでいるんだから、人間がこの月に行く時代になったんだから、お前も必ず治るよ、大丈夫治るよ」

テレビを見ながら涙をこぼす私の傍らで、母は何を想っていたのだろう。忘れられない母の言葉だった。

月には行けなくても、いつか空を飛びたい。鳥にはなれなくとも飛行機なら乗れるだろう。そんなことを考えながら、遥かな歳月が流れた。そして、私はまだ生きている。旅もする。

7年前、せめて「月の石」だけでも見たくてワシントンD.C. の国立スミソニアン航空宇宙博物館に行ってきた。月が、もっと身近になった。

ただそこには、これもまた人類初の原子爆弾を広島に投下したB-29「エノラ・ゲイ」爆撃機も展示されていた。これによって日本の戦争を終結させた、とあった。

近年、宇宙をめざす大国の競争が激しくなって、宇宙軍事基地などという文字を目にすることもある。
8月の空にしみじみ思う。もう戦争はいらない。「静かの海」が泣いている。

(2019年8月記)
審J1909128

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。