大石邦子の心の旅

自分への約束

私はこの頃、自分が何を書いたか、何を話したか、結構忘れていることが多い。

えっ、私そんなこと書いた?そんな話、したの?

私より、私のことをよく知っている友人もいて、時々大笑いする。笑いながら、私はこうした人たちに支えられて、ここまで来られたのだと、しみじみ思う。

もう生きられないと思っていた二十代から、遥かな歳月を、その時代、その時代に、様々な人が、様々な力で、支えてくれた。

イラストイメージ 直接ご恩返しはできないかもしれないが、せめて恩ある人たちに恥じるような生き方だけはしたくないと思っている。

晩年の母が言った。

「直接、その人にご恩返しができなかったとしても、嬉しいとか、有難いとか思ったなら、お前もいつか誰かに、そうしてあげられるといいね。それがご恩返しだと、母ちゃんは思うよ」

冬の空を見ていると、忘れているようで忘れていない、様々な出来事が蘇ってくる。

癌の告知を受けた日のことも、時々思い出す。長い闘病生活を経てようやく元気になり、車椅子ながら社会復帰ができたと思っていた矢先の、まさかの癌の宣告だった。

家族のない私は、全て隠さず告げてほしいと言っておきながら、いざ癌との告知の前に、ひとり海底に沈んでゆくような孤独と寂寥感に全身の力が抜けてゆくのをどうすることもできなかった。

診察室を出てきた私は、別人だったという。待合で一緒だった、私の読者だという女性が駆け寄ってきた。彼女は私の本のタイトルの「凛」という文字を子どもに名付けたのだと、先ほど話してくれたばかりだった。

力の入らない虚ろな私に、彼女は何を思ったか、突然バッグから大型の手帳を取り出すと、力を込めて言った。

「ここにサインして、『凛と生きる』と書いて!」

この人、何を言っているのだろう。サインどころか、そんな気力はなかった。癌が怖かったというより、また入院、手術の生活に入るのかと思うと堪らなかったのだ。

「書けない」私は言った。それでも彼女は、書くのだと詰め寄ってくる。

彼女の目が潤んでいた。私は一瞬、胸を突かれた。
何故、何故、彼女は涙ぐむのか。

彼女はサインが欲しいのではない。拙著のタイトルに重ねて、「頑張れ、凛と生きよ!」と、言っているのかもしれなかった。

負けるな、と。逃げるな、と。何十年も頑張って来たんじゃないか、と。

私は震える手で、『このいのち 凛と生きる』と、書いた。密かな自分への約束となった。

帰りの車で、私は泣いた。私のために涙ぐみ、必死に励まそうとしてくれた彼女に。彼女の心に応えて生きなければ、今まで私の本を読んで下さった方々を裏切ることになる…。

もう一度頑張ってみよう。そう思った瞬間だった。
あれから十年、彼女は今、私の大切な友である。

もうすぐ春、春よ来い。

(2020年2月記)
審J2003362

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。