大石邦子の心の旅

白鳥の飛来に

今年も、福島県の猪苗代湖に白鳥が帰ってきた。昨年より1日早い、10月7日だった。この湖で3,000羽ほどの白鳥が冬を越す。

湖が全て凍り付いてしまうという厳寒のロシア北極圏地帯から、餌を求めて4,000キロの飛来である。生きるとは、須らく厳しい。

それでも磐梯山を背に、光る湖上を悠然と飛び交う白鳥の姿は、痛々しいほどに美しい。翼を休め、ゆっくり越冬してほしい。

イラストイメージ 私は白鳥と言わず、大空をゆく鳥の姿が大好きだった。動くことの出来なかった長い闘病の日々の大きな慰めだったのだ。病室が6階で、私の窓を過ぎってくれるものは鳥以外なく、どんな鳥も可愛かった。

猪苗代湖には、もう一つ嬉しいニュースが伝わってきた。

私が子どもの頃から、この猪苗代湖には真冬を除いて観光遊覧船が運航していた。100人以上も乗れる大きな「白鳥丸」と「亀丸」の2艘だった。

ところが、このコロナ禍の中で経営が成り立たなくなったのか営業が休止となり、そのうちに廃業ということになって、白鳥丸・亀丸ファンが立ち上がり、何とか新たな人々によっての継続が決まったらしいのだ。

この湖の畔には、国の重要文化財でもある、旧皇族の別邸「天鏡閣」や、美しい磐梯山が聳え、そして何より野口英世の生家が、子どもの時に火傷をした囲炉裏も、家を離れるときに柱に刻んだと言われる言葉「志を得ざれば、再び此地を踏まず」も、そのままに「野口英世記念館」となっている。

ノーベル賞の候補に2度も挙がりながら、51歳の若さで亡くなった英世だった。

それらが遊覧船とタイアップして、猪苗代は、観光はもとより、遠足や修学旅行の聖地のように賑わっていた時代があった。何時も記念館の前の広場には、多くの子どもたちが列をなしていた。懐かしく思い出されてくる。

私も、まだ自分の足で歩けた頃、何度か遊覧船に乗った。今でも、あの髪を吹き上げる風の匂いや、まさに天を映す鏡のように光っていた湖の蒼さが、昨日のことのように甦ってくる。想い出は、年を取らない。

今の私は、もう新しい挑戦は出来ない。想い出を力に生きているのかもしれない。一つ一つの想い出が私を励まし、それでも時には、泣きたくなるような時もある。

そんな時には、今まで一番我が儘を聞いてくれた友人の処にゆく。彼はもうこの世にはいないが、私の中には生きている。

海外にも行った。白鳥を見にも来た。寒い時期なので、白鳥の見える湖畔の喫茶店に入ったものだが、その店も今はない。それでも、彼は私の中で生きている。私が生きている限り、生きている。大切な人の死とは、そういうものではないのかと、この頃思う。

それでも白鳥のように、年に一度でもいい、夢でもいいから現れてくれたら嬉しいのに…。

(2021年10月記)
審J2111180

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。