過去と現在、将来の夢
私は新潟大学で小児科医として働いています。血友病A(重症)の患者で、血友病との付き合いは45年になります。
物心がついたころから右膝の出血を繰り返していました。頻回の出血のため歩けないことが多く、なかなか小学校へ通うことができませんでした。
小学2年生の時に入院し、以降はその病院に併設された特別支援学校(当時の養護学校)へ通いました。
しかし入院後も左右の肘、膝、足首の出血を繰り返し、関節はどんどん悪くなりました。
小学6年生の時に退院の話もでましたが延期になり、結局退院したのは中学3年生の時、高校受験の1週間前でした。
関節の具合が良くなったから退院したわけではなく、むしろ退院前に歩く練習を頑張って出血を繰り返してしまい、松葉杖が必要な状態でした。
志望校へ合格することはできましたが、その高校にはエレベーターがありませんでした。
主治医からエレベーターがある高校を勧められ、志望校へは入学せずエレベーターがある別の高校へ進学しました。
ただ、志望校へ行けなくて残念だったということはありませんでした。
そもそも普通の高校へ通うことができるのかどうかわからないというレベルで、どの高校であれ卒業まで通えれば御の字でした。
長期入院からの退院直後で全く社会経験がなく、友達もいないため学校生活自体が大変なストレスでした。
当然ながら、運動会や修学旅行などの行事も参加できませんでした。
それでも親から車で送り迎えをしてもらい、なんとか松葉杖で3年間通うことができました。
どこにも遊びに行けないということもあり勉強に時間を割いて、新潟大学の医学部に合格することができました。
高校卒業後すぐに自動車の免許をとり、行動範囲が格段に広がりました。
大学生になると運動ができないということでコンプレックスを感じる場面はなくなりました。
高校生の間無理をしなかったおかげか、足の状態は落ち着いていました。
テストや実習に追われて大変でしたがようやく手に入れた普通の学生生活であり、楽しい6年間でした。
そして医師になり早20年。右膝は人工関節になり、足首は毎日痛みとの戦いです。
大学病院は広く、痛みを我慢して歩いているとかなり疲れます。
一般的には働き盛りの年齢かもしれないですが、体力的にきつさを感じることが増えてきました。
後悔というほどではないですが、あの時あれをしなければもう少し足の状態はましだったかな、なんて考えることもあります。
今、私が小児科でみている血友病の子どもたちは私とは全く異なった人生を送っています。
まだまだ関節障害と無縁というわけにはいきませんが、私の頃とは関節障害のレベルが違います。
そもそもなぜ注射が必要なのか、治療のありがたさを実感できていない子どもも多いです。
血友病に対する病識が低い患者さんに対してどのように指導するか、日々頭を悩ませている医師も多いと思います。
しかし、治療のありがたさを実感できていない血友病の子どもが多いということは素晴らしいことだと思います。
「病気のことはよくわからないけど、先生の言うことは聞くから」、私がみている子どもの中にはこんなことを言う子もいますが、私はそれでもいいのではないかと思ってしまいます。
自分の病気のことがよくわからなくてもいいなんて、私の患者教育は他の医師に比べると甘いかもしれません。
血友病との付き合いは生涯続きますがそれを過剰に意識しなくても普通の生活が送れる、そういう時代なのだと自分が入院していた頃を思うと非常に感慨深い気持ちになります。
血友病診療をこのレベルにまでもってきてくださった先輩医師、先輩患者さん、製薬会社の方々には感謝しかありません。
私が子どもの頃の将来の夢は「医師になりたい」ではなく、「普通の生活がしたい」です。血友病に限らず、「普通の生活がしたい」なんて将来の夢をもつ病気の子どもがいなくなって欲しい、そう願ってやみません。
(2024年Vol.77夏号)
審J2408111